設立経緯
昭和23年8月開催の、銚子市公正会館主催による「夏季芸術講座」受講者が中心となり、講座終了後「合唱団」を結成。指導者に市立銚子高等女学校音楽教諭の陰山先生を迎えて「混声3部合唱団」を、銚子市立興野小学校第1部校舎(公正会館の西隣)で始めた。
その後、この合唱団にあき足らなさを感じた一部団員が退会し、演劇教室を計画し、清川町在住の金芳博輔氏を指導者として「銚子演劇研究会」を設立して、演劇の練習を開始。残った合唱団員は、自発的に公正会館の元公正商業学校教室で「歌声運動」を始めた。
「銚子演劇研究会」メンバーは、昭和24年10月9,10日に「演劇発表会」を公正市民館講堂で開催することになり、以下のキャスト・スタッフで準備を開始し、2日間上演実施。
*演目 : (1)放送劇「川向こうの青春」 (作・金芳博輔)
(2)演劇「秋の記録」 (作・内村直也)
*「秋の記録」キャスト:
園子(長女) : 横山光子
寛子(次女) : 田原久子
陽吉(園子の許婚者) : 渡辺理一
寛吾(父) : 当金健一
*スタッフ :
演出 : 金芳博輔
演出助手 : 常世田令子
美術 : 渡辺 學
舞台監督 : 小貫通雄
照明音響 : 渡辺昭一
文芸部 : 高橋 淳
宣伝部 : 鷲尾一雄
後援会長 : 宇野澤幸次郎
*この公演は好評だったが、資金面で赤字となり団員のアルバイトが始まったが、アルバイトの無理が祟り、「銚子演劇研究会」は自然解散となった。
*「銚子演劇研究会」のメンバーは、元々音楽好きばかりだったので、発表会終了後も各自所有のレコード(SP盤)を持ち寄り、各家庭を廻り持ちで会場にして内輪のレコード・コンサートを開催していた。 レコード盤の購入店は観音裏のキネヤ楽器店だったが、或る日キネヤ店主から「あんた達、レコード・コンサートを継続して開催しないか・遣るのなら当店が援助しますよ」と声を掛けられ、仲間で相談の結果キネヤ店の申し出を受けることにした。
初めての行事開催となるので、市内の文化関係先輩でもある渡辺 學画伯、浄国寺杉山住職、奥山写真館店主、瀧田歯科医院長、等に相談した処、ぜひ開催する様にとアドバイスされた。顧問は「天金」の篠崎房次氏に引き受けて頂いた。そして、市立公正会館館長の会場無料使用の許可を得て、昭和25年5月22日の夜に、公正市民館講堂で「第1回レコード・コンサート」を開催することになった。
この時は約束どおり「キネヤ楽器店」が後援を引き受け、曲目の解説講師に「コロムビア洋楽課長・寺島 宏」氏を呼んで頂き、再生装置はキネヤ所有のビクター製品を使用。コンサートの曲目は、ヴェルディーの歌劇「椿姫」抜粋。会場の公正会館講堂に入りきれない、約500名の観客で、川口氏が手刷りで印刷したプログラムが足りなくなり、至急謄写版印刷機で受付で追加印刷した。
*この時、会の名称を決める事になり、長続きする様にと「銚子音楽鑑賞会」と決定。
発足当初の音楽鑑賞会主力メンバーは以下の通り。
代表 : 小貫通雄 (日本テレビ元技術編成局管理部長)
記録・会計 : 川口啓輔 (川口印刷工房元社長)
役員 : 作田仙一 (千葉市中学校へ転出・四街道市在住)
当金健一 (銚子市立中学校元教諭)
篠崎福子 (元岡崎市愛隣幼稚園園長)
田原久子 (田原缶詰元社長夫人)
常世田令子 (劇団青年座元演出・脚本、聞き書き作家)
横山光子 (旭市在住)
鈴木敏夫 (NTT元社員)
高島正行 (元銚子市立中学校教諭)
渡辺昭一 (元東京電力社員)
顧問 : 篠崎房次 (割烹料理天金元経営)
*「銚子音楽鑑賞会」としては、この後数度の再生装置の変更・更新(SP盤→LP盤→ステレオ盤)時の中断を経て、昭和43年頃に休止まで約370回のレコード・コンサートを開催した。この間、シラト電器店から一時期「ロンドンレコード」の新譜試聴用ステレオLP盤を借用、コンサートに使用させて頂いた。 |